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2017年6月23日 (金)

父の葬儀とその後 ~初七日を過ぎて~

父が6月15日に亡くなり、初七日が過ぎた。
母が亡くなったのが2016年3月6日。まだ1年と3か月しか経っていないのに、母の葬儀の時のことが少し忘れかけていたので、今回は経過を書きとめておこう。


6月15日(木) 父が亡くなった日


早朝の4時、家の電話のベルの最後の一つで目が覚めた。
「なんだよ、こんな時間にワン切りか」と思い横向きに寝返ったら、枕元のスマホが明るくなって震えだした。すぐにピンと来た。父に何かがあったんだなと。

「〇○ビラ(介護施設)です。夜の見回りにいったところ、お父様が息をしていない状態です。すぐに来てください。」

ついにこの時が来てしまったか。前回訪問した日(11日)、元気が無く少し虚ろな感じだったことを思い出した。
とにかく近所の介護施設に妻と車で向かった。
すでに父は息を引き取っていて、少し冷たくなっていた。
その後、医者が来て死亡を宣告。
6時頃からエンゼルケア(死後処置)を実施するというので待っていたら、看護師ではなく「Cセレモニー」の人が来て、この後のことをご依頼されますかと聞かれた。妻の方で前回母の時にお願いした葬儀社にすでに連絡済だったのでお断りした。
この日は前日に続いて航空便で出張の予定で仕事をキャンセルするわけには行かない状況だったので、妻に「この後のことはよろしく頼む」とお願いして、一旦自宅に帰って羽田空港へ向かったのだった。

帰宅して父の家へ直行。(私の自宅の近所)

父は施設から実家へ移動されており、朝連絡しておいた姉が来ていた。姉は千葉県の勝田台に住んでおり少し遠いが、義兄と一緒に来てくれて昼間にいろいろやってくれていた。

近所に住んでいる妹夫婦は何とこの時あいにく海外旅行中。17日(土)に帰国予定。

妻のおかげで基本的な段取りがほぼすべて完了していたことに感謝した。

・葬儀社へ連絡し、父の遺体の移動を実施。朝会話した通り、通夜18日(日)、告別式19日(月)、場所は母と同じY斎場で決定。16日(金)午前10時から葬儀の打合せ段取りも済み。

・義兄のおかげで介護施設にあった父の物もすべてその人のうちに実家へ移動完了。

・姉が親戚への連絡を完了していた。

・町会への連絡や町会の同じ班の班長さんに受付のお願いを実施。

帰宅したらどうなっているか不安であったが、助かった。


6月16日(金) 葬儀社との打ち合わせ(通夜前々日)


午前から昼過ぎまでの長時間にわたり、葬儀社と打ち合わせ。
祭壇、棺桶、骨壺の選択から、通夜振る舞い、精進落とし等の食事の選択などなど、沢山決めることがある。それから母の時と同じように若いころからの写真、遺品の展示もすることにした。
ここ最近は1日葬とか家族葬が多くなっているようで、その気持ちもわかる。フルセットの葬儀はお金だけの問題ではなく、相当な労力が必要だ。

午後、近所の受付をしていただけるお宅へあいさつ回り。


6月17日(土) 通夜前日

BRM617千葉600はもちろんすぐにDNS連絡を入れていた。

父の実家にある写真を集めて選択する作業も妻がやってくれていた。うちの嫁は子供より親のことをわかってくれているのですごくありがたい。

この日は妹夫婦が旅行から帰ってくるので駅まで迎えにいき、旅行で疲れていることは無視して実家へ直行してもらった。

葬儀社が毎日ドライアイスを持って来るのでその時に葬儀に使う写真展示物を渡す。


6月18日(日) 通夜

昼食を買ってきて実家で妹夫婦といっしょに食べて、午後1時に葬儀社の納棺士がきて最終的なエンゼルケアを実施。

午後2時半、父を実家から送り出した。

Y斎場で通夜。
ご近所の人や親戚が大勢きていただき、ありがたかった。


6月19日(月) 告別式


最後のお別れ。
喪主の挨拶。私の出番。
1年半前の交通事故の後の経過と今のところに55年前に来てからの父の仕事について、簡単にお話しさせていただいた。

親戚一同で精進落とし。無事葬儀を終えることができてほっとした。


6月20日(火) 年金受給停止の手続き

今週いっぱい忌引き休暇にしたので、この間に出来る限りの手続きを終わらせたい。

最初は、年金関係の手続き。

実家に行って、父の年金証書、年金手帳を探す。予想通りの場所にあって、すぐに見つかった。

取り急ぎ、自分の戸籍謄本、住民票、印鑑証明を初めてコンビニで入手してみた。料金が役所で入手する手数料の半額だ。こういう時は取得する機会が増えるので安いのはうれしい。

死亡が戸籍に反映されるのに1週間程度かかるという情報が多いが、戸籍も住民票も同じ区内なので、午前中に区民事務所に出向いた。
思えば母の時もそうだったが、死亡届の処理は戸籍がまだされていなかったが、入手したいということを申し出ると優先的に1,2時間のうちに処理をしてくれた。
午後、戸籍(正確には除籍)を入手後、その足で年金事務所へ。
年金は15日締めなので、15日に亡くなっているので未支給年金が無しなのかと思っていたら1か月遅れで支払われているとのこと、1か月分の年金(わずかである)が請求できる。
「生計同一関係に関する申立書」という提出書類が難解なものであった。母の時もそうだったことを思い出した。


6月21日(水) 裁判所での民事訴訟の打合せ

1年半前の父の交通事故は、刑事裁判は終えて、現在、民亊訴訟を実施中。4月、5月に1度ずつ、6月はこの日が打合せの日だった。
裁判官、先方の弁護士2名とこちらの依頼弁護士と原告の私と事情通の妻の6名で打合せ。毎回、15分程度である。

今回は、こちらの依頼弁護士が原告の父が死亡したという報告をしたところ、相手の弁護士に安堵の微笑が見えた。生存予定期間分の損害賠償額が無くなって、6月15日までかかった費用に確定するため、争点が一気に無くなったからだ。


6月22日(木) 父の生まれた時の戸籍(除籍)入手

母の亡くなったときに結婚以降の戸籍は入手済だったので、今回、父の生まれたときから結婚までの期間の戸籍を入手すべく、茨城県境町役場へ向かった。もちろん自転車で。




Img_20170622_105318_2

父は昭和5年に東京市神田区錦町生まれ。その後深川に移って、昭和20年、東京大空襲の直前に長男だった15歳の父は、幼い兄弟姉妹5,6人を連れてリヤカーを引っ張ってここに移動したらしい。戸籍はここの場所なので、自分の家に戻ったということなのだろうか。

せっかくなので戸籍に記載のあった住所の場所を訪れてみた。

Img_20170622_113114_2

私が生まれる前のことなので、ここに来たからどうってことは何もない。
ただ、ここに父が昭和20年、15歳の時、移ってきて、ここで25歳に母と結婚したという事実があるということだけだ。
ここで戦後祖父が下駄製造を始めて当時は一気に成り上がったらしい。そして、父が昭和30年過ぎた頃、家族を連れて東京の足立区綾瀬に移って下駄の卸販売をした。おそらく東京の販売拠点だったのかもしれない。
しかし、下駄は一気に衰退して、綾瀬の家は祖父の持ち物だったということで処分されたらしい。


6月23日(金) お墓の石屋さんと打ち合わせ

七七日忌、四十九日の法要は、8月2日。予定ではLEL(ロンドン・エジンバラ)のゴールの日だ。
ということで、49日は、37日目の7月22日に早めることにした。かなり早いけどお父さんお許しください。
すでに1か月を割っているのでお墓に納骨するため石屋さんに日程を確認し、本日打合せを実施するため、八柱霊園へ。
そして、霊園近くの会食場所の料亭の場所を予約。


これで、LEL行くまでの当面の大きなイベントの段取りはだいたい済んだだろうか。

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コメント

お疲れさまでした。
私にも近い将来、訪れる来ることです。
大変そうですね。
まだ、家内の両親を含め、みんな健在なので
大変です。
LEL楽しんできてください。

テクセラさん コメントありがとう。
みんな元気な時に私のようなことを話題にして、どんな葬儀を希望しているとか、年金手帳の置場所とか、預金通帳の暗証番号とか、出来ればエンディングノートを書いておくこと等、話しておくのがいいと思いますよ。残された者にお任せするという回答でもいいし。
うちはそういうことしないでこうなってしまったのでね。

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